5年前に

こんなことがあったのか。昔の日記を読んで当時のことを思い起こした。
2000年の元日はY2Kで会社にいたのだ。年末から泊まり込んで
元日は会社から日の出を見た。そしてこの年は実に多くのことが
あったのだ。直接はY氏の出現が多分この年かと思い調べたが
これは12月異動のことであった。しかしそんなことより大きかったのは
CD部が解散になったこと。8ヶ月一緒にいた仲間が大部分NDに帰った。
Kさん、KJさんら今考えると大変な人達が帰っていった。これで
CDがCCになったのがこの年の12月。そこにY氏が入り込んで来たわけだ。
その意味では、CCとともに来たりてCCとともに去っていくという感じか。
今やCCを名残惜しく思うが、当時はCDが心の拠り所みたいな状態だったのだ。
そこでY氏は一体何だったのか。人格者という言葉が妙に耳に残っている。
確かに全く今まで関係のなかった人であった。その人が何故、という気持ちは
誰もが持っていたのではないか。現在もそうかもしれないが、WEBという仕事は
それだけ蓄積されたノウハウがまとまっているわけでもなく、ある意味入りやすく
どこからでも一定の知識、特にPJマネージメントのノウハウがあれば
やっていける仕事である。その意味では誰でもよかった訳で、そこで
人事関係というかヒューマンコミュニケーションにたけてているという
ことであればそれでよかったのかな。あんまりうまく総括できないが
組織変革がなされたグラグラした時期、そして問題要因が(要員としての北が)
山積まれている時期に、それを処理するために来た人だったということか。
で、残された人々はどうするのか、ということだがそれは勝手にしろということか
後はまかしたということか。それともこれも突然なことで手が回らず去るということか。
最後に一票という気もするが、5年は長いし、続くべき人材が育たねばなるまい。
突然くることでその流れに従って、次は動く。ある意味粛々と。
まだまとまらないな。