たまには怒るのも

いいものだな。ひまになって思うに、怒りとか情動を働かせる場が無くなっている。
だから何となく気が抜けたようになるのか。要はあるがままに過ごしていたことで
こうした感情が何故働くのかのも忘れていたのか。いや、そうしたことが日常的な
仕事の中で常に繰り返されていたことで納得していたのかもしれない。それが本当に
正常なことかどうかなどは考えてもいなかった。つまり全てが仕事の中で埋もれて
いたというわけだ。少し退いてみるとそんな姿が透けて見えてくる。人が薄っぺら
に見えるのはやや軽蔑しているからだろう。それは反発の裏返しなので、あまり
いいことではないが、態度が鼻につくのは仕方ないでしょう。その人間の人格が
あまりにも頼りない判断基準でしか動いていないから。でもそれを言葉にしては
いけない。態度にしてもいけない。ただ見るだけでいいのだと思う。
いつもそうであるようにある人間がいやな感じに見える。それが時として
人を変えるのは自分との接続の強さによるのか。いやな面ばかりが気になって
増幅されてしまう。あんなに気障りだったFが妙に感じよく思えているというのに。
全てにやさしく、あるいは奉仕的に何故接することができないのか。
会社だって舞台だよ。そこで皆演じているだけなのに。