沈み込んでいきそうな気配

ここ数年の自分自身の地盤沈下がまた加速化された。
不思議に痛みはさほどない。
ないところがまたどこあで緩衝しているはずだと思い、
自分が可愛そうになる。
まわりから何故こんな対応?仕打ち?をし向けられるのか。
強く感じるのは企業の論理と自分の意地、忸怩というのか
その闘いが何故こんなにも急に迫られているのかということ
しっかり意識していないと自分の存在が消えてしまうような感覚におそわれる。
何故今まで何もなく来たのかとも思う。ショックは徐々に来た方がインパクトが少ない?
何か全てが来てしまったと考えた方がいいのか。
来ているかどうかということでなく、否応なくその動きに巻き込まれていることを
まず認識することか
次にそこでどう息継ぎとか自分の泳ぎができるか
そこは自分の判断に基づく
処遇と給料が結びつかないこの会社とあと10年どう生きるか

もう10年以上の時が経ったわけである。
一度死んでからそれだけ経ったわけである。
あのときは突然来た。
真夜中に突然おそわれた。
そしてほぼ完全な形で復帰できた。
今考えてみると、あのときは生きること、生きていることがとてもうれしかった。
今も歩いているあの道を、もっと噛みしめながら歩いていたはずだ。
毎日歩けることがうれしくてカウントしてような気がする。
今回も突然だった。
前触れはあったのかもしれないが、言ってみればかなり外科的
周りからはずされたことがわかるが、生きていることもわかるということ。
前回は自分にツキがあると思った。つまり完治できたことが奇跡に近いと
思われた。
今回はどうなのだろう。
後で考えてみて10万くらいのことで
腹を立てたりして何とバカげたことをしたかと悩むかもしれない。
今は体は問題ない。
頭はむしろ冴えている。
最近思うのはカンが鈍ってきたのではないかとうこと。
マネジメントの力を養うことが何かにつながるのではないか。
WEB2.0を含めた言ってみれば技術潮流をおさえることが
何かに役立つのではないか。

今日志美と話して、一応あとしばらくは今のままだ。
だから来年どういうスタンスでいくのか集中的に考えることだ。

次の10年をどう生きるか
今必要なことは再生か、生まれ変わること。
多分4月に大きな転機が来るはず。

今年は流れに巻き込まれ、自分であらがうことができなかった。
それはわかった。
次はこちらの番だ。