悲しいこと

本日午前11時30分、私の愛した大切なネコ、マルが死んだ。心臓が悪くて2,3ヶ月の命と言われてから2年以上。ダクタリ動物病院との2人3脚で病院通いをしながら頑張ってきたが、今日命が尽きた。ここ2,3日食事を摂ることができず水だけ飲む日が続いていた。かなり昨日も弱ってきたので、今日ダクタリに電話し、10時30分に予約を入れた。車に乗せるときに、美和子の話では少し抵抗したようだ。そして短い道程だが、途中でカートの中で横になってしまった。こんなことは今までなかった。病院につくと直ぐに先生に様子を報告。酸素呼吸をさせて水を抜きましょう、と言われた。多分半日くらい預かるのではと言われて一端家に帰った。そして11時過ぎに家に電話が入る。いやな予感がしたが、まさにその通り。ミッコの呼吸が止まった、ということ。それを聞いて「それってミッコが死んだってこと?」と聞き返してしまう。直ぐに病院に行くと、奥の診察室に通される。ここは初めて入るが、中でミッコが横になり、先生から「呼吸が止まり、今気管切開をしてマッサージをしていますが...」と言われる。涙が止まらない。「先生、もう結構です。」と言うのが精一杯。美和子も言葉にならない。恥ずかしさもなく泣けてくる。まだミッコの身体は暖かい。それでは後始末をしますのでと言われ、いつもの待合室へ。こうしたときにも普通のお客や、クリーニング屋みたいな人が出入りする。それは普通の病院と同じ。どこかに行って欲しい、今はミッコが死んだばかり何だぞ!とどなりたくなるがそれもできない。なんてこった。そして暫くすると、先生が来て、目を開けておくか、閉じるか、いかがしましょうかと問われる。お尻などには詰め物をしますがと言われ、目は閉じてもらう。接着剤を着けるとのこと。そして白いダンボールの中に、シーツに包まれミッコが運ばれてくる。もうそれは遺体だ。モノになってしまったミッコ。軽いよあまりにもこの箱は。葬式の案内を幾つか渡される。とにかく家に運ぼうとして、道に出ると普段になく道が空いていた。これはきっとミッコのために空けてくれたんだ。そう思う。雨が降る。そして寒い。この雨はミッコの涙あめ。不思議なことだが、死んだときに流れた涙が止まった。悲しみも薄らいでくる。なぜだかわからない。しかしものすごく気が抜けた感じだ。多分あとからズシンとくるのかもしれない。これまであまりにも普通に自然に存在していたものが亡くなるとこういうものなのか。ペットロスとかなんとか言うものではない。どこかをつかれると涙がでるのかもしれない。携帯の待ち受けかミッコの写真だ。消そうかとも思ったが、いいじゃないかそのままでと思う。写真もそこここにある。そんなものいっぺんに消せるか!家に帰ってまだ寝ている信彦を起こす。「オイ、ミッコちゃん死んじゃったぞ!」。ブスっとした顔で、でも信じらない表情で信彦がのぞく。遺体は、居間に置いて、美和子が買ってきた花を添える。まだ暖かいよ、ミッコちゃん、と美和子が言うが、それはそうだろう死んだばかりだ。でもこうして箱に入って横たわると、それはモノでしかないのだ。私達を本当に楽しませてくれたあの可愛いミッコはもういない。天に召されたと、先生が言った。まさにその通り。この寒い冬空に、ミッコの魂は召されて行ったのだ。するすると上っていったのだろう。この18年以上本当に楽しく暮らしてきた仲間が、天に旅立った。今はその事実をただ認めるしかない。本当に心臓が悪いとは思えなかったミッコ。でもデータは正しかったらしい。でも本当に真面目に薬も飲んでくれた。治療にも従ってくれた。エサも食べてくれた。寝床にも毎日訪ねてくれた。いつでもカワイイをしてくれた。つらくてもミルクをなめてくれた。そんなそんな全てのことをごく自然にしてくれたミッコがいなくなった。今はその事実を厳粛に受け止めるしかない。悲しければ泣くだけだ。自然にしよう。それがミッコにとっても一番いい。悲しい、それだけだ。