現状の整理                  07/ 1/16 Tue

 何となく論点がぼけてきているが、現在のステータスとして幾つかの問題が
 錯綜し、焦点が見えにくくなっている。
 ・予算検討
   統合化PJ予算について検討をIT戦と進めているが、
   一方でコンテンツ面からの横やりが入っている。
   ただし、これは予算を増やす方向にコントロールできそうな感じもある。
   ××が弱腰なので、○○に振り回される懸念あり。
   客観的な視野が必要。ここでの論点は、統合化/移行に絡む費用を
   どの程度宣伝部で持つか。
   
 ・問い合わせ
   従来のCSとの検討を、今後の問い合わせ検討にどう結びつけるかが
   ポイント。△△との間で、微妙にか、かなりなのかわからないが、意識のズレ
   が存在している。これは、直接解決した方がよさそう。
   
 ・報告体制
   週報に端を発して、××との情報共有をどうするか。
   現状では、何らかの仕組みを考えるしかないので、取りあえず//の
   報告にコメント追加という形式で考えてみたが、もっと積極的に
   ブログでエントリーすべきか。
   
   
 今、具体的な指示はないが、今後の仕事の進め方に関わりそうな事象が
 動き始めている気がする。何となくもぞもぞするのは、それに直接的に
 乗れていないから。搦め手から来る感じがして、とても気持ち悪い。
 そしてそこにいやいや乗る感じが、ひどく消極的な意識につながる。
 もっと意識的に意見を開陳すべきと考えていたのだから、この際
 これを利用するような賭けに出てみるか。
 天候とか体調とか、その時の状況や気分に左右されることが多い。
 決めるのは自分だし、回りは自分が思うほどは、自分を意識していない。
 この現実を改めて認識した上で行動を決めるべきである。      

自信を持つ、そして生きる。

何故か弱気になることが多い。それも何もなく休んでいるときに、ふと腰がくだけてくる。気分的な問題であるとは分かる。
だが、急に弱きの虫が騒ぐ。自信を持っていいはずが、つまらないことで損をしてきたのではと疑心暗鬼になる。
去年は今まで感じたことがないようなことが多く発生した。
特に今までなら味わう必要のないような屈辱的な出来事も多かった。それが年齢的なことを理由になされることが耐え難くもあった。要するにメインの主役から引きずりおろされたという落ち目感を強く持っていたわけである。当然、他の人もそういう目で見ているのだろうと自分では思っていた。仕方ないのかなと一部斜に構えている感じもあった。
だが、よく考えてみるとこれにはひどく甘えた考えが潜んでいた。つまりこんな状態は、どこかで誰かが何とかしてくれるはずだと。きっと良くなるという楽観論ではない。誰かが助けてくれるという依存心だ。
ところがこれが見事にはぐらかされる。つまり何も変わらない。変わらないどころか、現状が固定化される。そういうものだと誰もが感じ始める。何も変わらないし、誰も救ってくれる気配もない。
当たり前だとは、その時になってようやく気がついた。
自分から変えない限り、現状などは変化しないのだ。
むしろ悪化するほうが多い。
だから、これでいいと割り切ったり、あきらめたりするのも
確かに一つの選択だ。仕事以外に中心を移すという考え方。
そのためには蓄えが必要であるが、今の私にはそれは無理。
働くことがメインでありたいし、それはあと10年は続けたい。そして目標としては、豊かな生活と地位を得たい。
役員クラスになりたい。ベンツも欲しい。チェロも買い換えたい。
これだけの目標があるからには、いい加減なところで妥協はできない。
そこで考えたこと。
まずは自分の価値を磨くこと。
これには勉強が必要だ。もっと現状を学ぶ必要がある。
本は買うだけではダメ。それを血肉化しなければ。
楽しみで読む本ではダメなのだ。好奇心を満たし、知識を得るため。そして戦略や心理を学ぶためにしばらくは読書を仕事にしなけらばいけない。
タイミングを考え、いつも臨戦態勢で。
チャンスはいつ降ってくるかわからない。だから、いつでもオファーに答えられるように準備しておかないと。
つまりプレゼン(自己PR)できないといけない。
具体的なこととしては、
関連する書物、関係がでてきそうな書物、先を読むための書物、時代を知るための書物、知恵になる書物、戦略を学ぶ書物、これらを一気に読み始めること。
そしてそれを血肉化するために自分でまとめること。
これはツールが必要だろう。
更に、英語を武器にできるようにすること。
自分の仕事、これからの業界の展望、今のトピックを英語で普通の人が分かるようにプレゼンをまとめること。
これを暗記して実践すること。
そして自分の人脈をもっと拡げること。
年賀はがきの量を気にするようなことはやめにしたい。
この1年、いやまずこの3ヶ月。これで勝負だ。

本屋の秘密

最近よく利用する本屋の一つにkがある。渋谷の駅から近いのと中に喫茶店があるのがいい。少し横長の茶店は、想像以上に広い。一人孤独に本を読んだり物思いにふけるのに向いている。昨日もそこで一息ついていた。事件が起きたのは、そのあとだ。

じっとしてはいけない

何もせずじっとしているのが一番いけない。ペットで悔やんでいるのか仕事で悩んでいるのか分からぬが、いずれやる気は見当たらない。何かに打ち込むべきだ。最後の週に満足に触ってあげずにゴメン。まずいミルクもあげられずにゴメン。お水入れも新品を買ってあげずにゴメン。そして何よりもあの日病院に連れて行ってゴメン。

深大寺

亡くなった猫の遺体を深大寺の動物斎場で火葬にした。3時に予約し、一家4人で斎場に向かう。妙に細い道でわかりにくい場所だったが、扱いは丁寧でよかった。火葬するまえに、ダンボールから出し、敷いているビニール類を取り除く。ダンボールやビニールなどは焼くと黒くなって大変とのこと。そこで猫を取り出してタオルにくるみ、花をまわりに敷き詰めてやる。ほぼ同じ年月一緒に育った息子が泣いている。今思い出しても泣けてくる。熱い火に猫を入れることが耐え難い思いはあるがお別れをする。約1時間ほどで骨に変わった。そのまえにもう人形のようだったので、私は覚悟ができていたが、息子が鼻をすすって泣いている。我慢なんかすることないよ。泣けるときは泣くことだ。立派な骨だ。脚も立派。歯もあった。首輪やネームプレートなどは溶けてしまったようだ。のど仏を最後に入れて骨壺を家に持ち帰る。今は居間に置き、しばらく安置するつもり。昨日は身体があったが、今日は骨になってしまった。お前は昇天したよな。本当に最後まで有り難う。本当にいい猫だった。

こうして全てが思い出になってしまった。
昨日までは毎日作りだしていたものが、これからは思い出の中にしか生きてはいない。
その切なさに、多分皆泣けてくるのだろう。

諸行無常、悲しいことばかりではないはず。

悲しいこと

本日午前11時30分、私の愛した大切なネコ、マルが死んだ。心臓が悪くて2,3ヶ月の命と言われてから2年以上。ダクタリ動物病院との2人3脚で病院通いをしながら頑張ってきたが、今日命が尽きた。ここ2,3日食事を摂ることができず水だけ飲む日が続いていた。かなり昨日も弱ってきたので、今日ダクタリに電話し、10時30分に予約を入れた。車に乗せるときに、美和子の話では少し抵抗したようだ。そして短い道程だが、途中でカートの中で横になってしまった。こんなことは今までなかった。病院につくと直ぐに先生に様子を報告。酸素呼吸をさせて水を抜きましょう、と言われた。多分半日くらい預かるのではと言われて一端家に帰った。そして11時過ぎに家に電話が入る。いやな予感がしたが、まさにその通り。ミッコの呼吸が止まった、ということ。それを聞いて「それってミッコが死んだってこと?」と聞き返してしまう。直ぐに病院に行くと、奥の診察室に通される。ここは初めて入るが、中でミッコが横になり、先生から「呼吸が止まり、今気管切開をしてマッサージをしていますが...」と言われる。涙が止まらない。「先生、もう結構です。」と言うのが精一杯。美和子も言葉にならない。恥ずかしさもなく泣けてくる。まだミッコの身体は暖かい。それでは後始末をしますのでと言われ、いつもの待合室へ。こうしたときにも普通のお客や、クリーニング屋みたいな人が出入りする。それは普通の病院と同じ。どこかに行って欲しい、今はミッコが死んだばかり何だぞ!とどなりたくなるがそれもできない。なんてこった。そして暫くすると、先生が来て、目を開けておくか、閉じるか、いかがしましょうかと問われる。お尻などには詰め物をしますがと言われ、目は閉じてもらう。接着剤を着けるとのこと。そして白いダンボールの中に、シーツに包まれミッコが運ばれてくる。もうそれは遺体だ。モノになってしまったミッコ。軽いよあまりにもこの箱は。葬式の案内を幾つか渡される。とにかく家に運ぼうとして、道に出ると普段になく道が空いていた。これはきっとミッコのために空けてくれたんだ。そう思う。雨が降る。そして寒い。この雨はミッコの涙あめ。不思議なことだが、死んだときに流れた涙が止まった。悲しみも薄らいでくる。なぜだかわからない。しかしものすごく気が抜けた感じだ。多分あとからズシンとくるのかもしれない。これまであまりにも普通に自然に存在していたものが亡くなるとこういうものなのか。ペットロスとかなんとか言うものではない。どこかをつかれると涙がでるのかもしれない。携帯の待ち受けかミッコの写真だ。消そうかとも思ったが、いいじゃないかそのままでと思う。写真もそこここにある。そんなものいっぺんに消せるか!家に帰ってまだ寝ている信彦を起こす。「オイ、ミッコちゃん死んじゃったぞ!」。ブスっとした顔で、でも信じらない表情で信彦がのぞく。遺体は、居間に置いて、美和子が買ってきた花を添える。まだ暖かいよ、ミッコちゃん、と美和子が言うが、それはそうだろう死んだばかりだ。でもこうして箱に入って横たわると、それはモノでしかないのだ。私達を本当に楽しませてくれたあの可愛いミッコはもういない。天に召されたと、先生が言った。まさにその通り。この寒い冬空に、ミッコの魂は召されて行ったのだ。するすると上っていったのだろう。この18年以上本当に楽しく暮らしてきた仲間が、天に旅立った。今はその事実をただ認めるしかない。本当に心臓が悪いとは思えなかったミッコ。でもデータは正しかったらしい。でも本当に真面目に薬も飲んでくれた。治療にも従ってくれた。エサも食べてくれた。寝床にも毎日訪ねてくれた。いつでもカワイイをしてくれた。つらくてもミルクをなめてくれた。そんなそんな全てのことをごく自然にしてくれたミッコがいなくなった。今はその事実を厳粛に受け止めるしかない。悲しければ泣くだけだ。自然にしよう。それがミッコにとっても一番いい。悲しい、それだけだ。